説教「今こそ恵みの時」

聖書 イザヤ書55章1~7節 ルカによる福音書4章14節~21節

牧師 福井博文

主イエスは、ガリラヤ湖畔のカファルナウムの町での働きを軌道に乗せたあと、久方ぶりに故郷のナザレにお戻りになりました。神の国の到来の喜びを人々と分かち合いたいとお考えになったのです。旧約聖書を学び、ヨハネの洗礼を受け、弟子たちを集め、神の国について語り始められた主イエスに対し、ナザレ村の人々は、関心と期待を寄せていました。主イエスが帰郷された日、ナザレの会堂にいつもより多くの人々が集まり満席になっていました。

礼拝の中で主イエスはイザヤ書の次の箇所を朗読されました。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」

朗読が終わると主イエスは巻物を巻き、係の者に返して中央の席にお座りになりました。そして「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」と話し始められました。主イエスは、神の事柄を語るのに、よく知っている方のことを話すように語られました。その言葉は確信に満ちていました。そのため人々は今ここで神の国に招かれているように感じました。自分のような者でも、神の国の一員にしていただけるかもしれない。人々は驚き喜びました。

「恵みの年」とは、旧約聖書のレビ記25章10節に書かれるヨベルの年と同義です。「この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。あなたたちはおのおのその先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る。」50年目にすべての奴隷が赦され解放されました。これがユダヤ教に定められた神の恵みの年でした。構造的な差別や貧困の中に置かれ、そこから這い出すことができない人々、最低限の福祉や医療から漏れる人々、そのような人々に神の助けが与えられるのです。

わたしたちは、この主イエスの言葉が、瞬時に起こる神の奇跡と捉えてはなりません。主イエスの死と復活のあとに教会が誕生し、2000年の時が経ちました。その間に何が起こったのでしょう。信仰、政治、経済、医療、福祉、教育のすべての分野において、ゆっくりとですが、確実に変化が起きました。それはわたしたち人間の一人ひとりの意識が変えられたからです。主イエスは、今こそ救いが始められた、そして、その救いを受けたあなたは、神の約束を身をもって実現して行きなさい、と言われます。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8・28)

わたしたちが夏と冬の休暇の時に必ず出席する神戸の須磨月見山教会では、今年の夏、夏期伝道実習に東京神学大学の乾元美さんという神学生を迎えられました。乾さんは、キリスト教徒の家庭に生まれ、幼いときから母親と二人で暮らしてきました。高校生になる年に洗礼を受け、大阪の浜寺教会で信仰生活をし、大学卒業後に、病院の医療福祉相談室の相談員になりました。そこで相談業務の専門家として7年間勤め、様々な患者さんや家族の相談に応じました。人が生きること、死ぬことに向き合う場面がたくさんありました。病気で亡くなる方、自殺をした患者さんもいました。そこで人の命に対して、何もできない自分に大変な無力を感じました。自分に何かできると思うことさえ、おこがましいと感じました。

乾さんは別の道を捜し始め、祈り、神学校に行く決心をし、母親に相談し、牧師に相談しました。教会の長老会の試問に出席したとき、「おめでとう。行ってらっしゃい。」と口々に言われ、自分の献身が教会全体に喜ばれていることを知りました。主イエスによって成し遂げられた、良い音信(おとずれ)を携え、罪の呵責に苦しむ人々に、身体の弱さに悩まされる人々に、死の過酷さに打ちのめされる人々に、語りかける働きを選びました。乾さんは、牧会という務めが、万能薬のように癒しと解決をもたらすと考えたのではありません。主イエスの十字架のみ下に佇(たたず)むことで、神から与えられる慰めと励ましを共に受けることを願ったのです。

神さま、いつも無力なわたしたちを助けてください。主イエス・キリストのみ名によって祈ります。(12月7日 待降節第二主日礼拝)