説教「父よ、時が来ました」

聖書 イザヤ書45章1~7節 ヨハネによる福音書17章1~3節

牧師 福井博文
先週の木曜日に教会はキリストの昇天日迎えました。今日の主日礼拝は昇天後第一主日を迎えています。主イエスはこの世における働きを終え、弟子たちといよいよ別れる時が来たことを悟られました。天におられる父なる神の御許に帰らねばならない時でした。主イエスは神の御子だから、惜別の情を持たれないとかもしれませんがそうではありません。主イエスはひとりの人間として深い寂しさと名残惜しさを持たれたに違いありません。主イエスは御自分のことをいつも「人の子」と表現されました。一つには、黙示文学的表現におけるメシア、救い主という意味ですが、同時に読んで字のごとくひとりの人間であることも示唆します。主イエスは人として生き、人としてそして去っていかれたのです。
主イエスがこの世で親しくなさり、よしみを結ばれたのは、漁師たち、羊飼いたち、徴税人、律法を守りたいと思いながら思うにまかせない貧しい人々、障害をもった人々、病を抱えた人々でした。いわゆる名門・名家の人々や学者の家系の人々は多くありませんでした。人間関係に少し偏りがあるように思われますが、それが事実です。神の国での再会において、主イエスは信仰者の誰に対しても等しく親愛の情をお示しくださることh間違いありませんが、この世で結ばれた特別な関係を反故(ほご)にされるお方ではありません。大切にされることは言うまでもないことです。
ヨハネ福音書で主イエスは友という言葉を使われたことになっています。人間的な響きがあり聖書にしてはめずらしい表現です。これは共に祈り合い、励まし合いながら、神に従って真摯に生きようとした信仰の友のことです。この世で信仰に生きることは、様々な困難に直面することでもあります。しかし、そこで得た信仰の友との信頼関係は決して失われないのです。主イエスは人として33年のご生涯を送り、喜び、感謝すると同時に、限界を感じ、弱さを覚え、悲しみすら経験されました。細く長くでなく、太く短く生きられた生涯でした。それだけに仲間たちと心通い合う経験を幾たびもなさいました。わたしたちも同じように、それぞれが与えられた信仰の課題に真摯に向き合うことで、身近にいる兄弟姉妹との信頼関係を構築させていただければと思います。
主イエスは御自分が去って行かれるとき、代わりに助け主を送ると約束されました。第三位格の聖霊です。ラテン語ではペルソナです。後にキリスト教的な深い意味を持った用語になりました。聖霊はわたしたちに三つの助けを与えてくださいました。
ひとつは、聖書を編纂です。パウロを初め何人もの人たちが書き残した書簡、礼拝で朗読するために創られた福音書、教会の歴史としての使徒言行録等です。聖書のお陰でわたしたちは信仰を整えられる者とされます。テモテへの手紙二3章14~17節には次のように書かれます。「だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。」
次に聖霊はわたしたちに教会を与えてくださいました。わたしたち信仰者に勇気と知恵を授けてくださり、教会会議の制度、教職の制度、長老執事の制度、典礼の制度、信仰告白文、教会規則といった具体的で有効なものを残してくださいました。このような制度のお陰で、わたしたちは世俗世界からの迫害や内部からの分裂作用に耐えることができました。更に子教会を産み出し、全体の成長につなげることもできました。教会は聖霊がわたしたちにくださった聖書と同等の優れた神の恵みです。ですから聖書と教会はつねに一体であり、足並みをそろえて歩んで来ました。
三番目に、聖霊は信仰深い人々の手になる多くの著書、著作を残してくださいました。古くはギリシャ語で書かれたもの、ラテン語で書かれたもの、宗教改革以降は、英語、ドイツ語、フランス語などで書かれたものが、膨大な知的遺産になっています。温故知新という言葉通り、キリスト教会にも、古きを尋ね新しきを知るということがあります。旧教と違い新教において優れた信仰の著作は聖書と同等ではありません。しかし、それでもわたしたちの信仰に大きな刺激と発想を与えてくれるものです。現在そのほとんどは日本語に翻訳されていますので、いつでも取り寄せて読むことができます。
最後に、聖霊のお働きの中心は、いつもわたしたちを救いに導いてくださることです。聖霊はわたしたちを主イエスのもとに連れて行ってくださいます。悔い改めを促します。父なる神に立ち帰るようお勧めくださいます。わたしたちは聖霊の導きの中で今裁かれ、主にあって今救われることが大切です。聖霊よ来てくださいと祈りましょう。(6月1日 主日礼拝)