説教「花婿を迎える賢いおとめたち」

ハバクク書2章2~4節 マタイによる福音書25章1~13節

牧師 福井博文
主イエスは神の国のことを次のようなたとえで話されました。十人のおとめがともし火を持って、花婿を迎えに出て行きました。そのうちの五人は愚かであり、五人は賢かったと言います。愚かなおとめは、ともし火は持っていましたが、予備の油を用意していませんでした。賢いおとめは、壺に油を入れて持っていました。「おとめ」という語は、一般的な女性という語を用いないで、わざわざ「処女」という語を使っています。洗礼を受けて罪から清められた信仰者のことを言い表しています。
この日、花婿の来るのが大幅に遅れたため、おとめたちは、眠気がさして眠り込んでしまいました。日々の忙しさに流されて神さまのことや隣人のことを忘れてしまい勝ちになることを言います。真夜中に「花婿だ。迎えに出なさい。」と叫ぶ声がしました。おとめたちは急いで飛び起き、それぞれのともし火を整えました。愚かなおとめたちが、賢いおとめたちに言いました。「油を分けてください。油が切れてともし火が消えそうです。」賢いおとめたちは答えました。「わたしたちも分けてあげるほどはありません。」
愚かなおとめたちは夜中に油を買いに走りました。しかし、愚かなおとめたちが油を買いに行っている間に、花婿は到着し、関係者はみな入場し、戸は閉められました。宴もたけなわの頃、愚かなおとめたちは帰って来て「ご主人様、開けてください。」と言いました。しかし、婚宴の主催者は言いました。「わたしはお前たちを知らない。」
「備えあれば憂いなし」ということわざを思い出します。日常の生活において、備えることの大切さを感じる今日この頃です。幼稚園では地震や津波による水害が発生したときのために避難訓練を行っています。駐車場の南のJA共済の新しいビルに避難させていただけるようになっています。そこでは数日の間、避難生活できるような食料も蓄えられています。ケアハウス希望の園では非常用の毛布や食料やトランジスターラジオや懐中電灯を常備する棚を新設するよう計画しています。主イエスは、あらゆる現実の問題に備えることの大切さと同時に、神にお会いする備えの大切さも教えられました。
わたしたちは、この世における災害には賢く準備できるのに、肝心の神にお会いする準備が十分にできていません。わたしたちは死を迎える時、無力となり、神さまのお力にすべてを委ねなければならない時がきます。そのとき、わたしたちは神さまに本当に受け入れていただけるのだろうかと問いかけます。わたしたちはすでに花嫁の付添い人に選ばれています。ですから間違いなく花婿の婚宴に参加させていただけることになっています。でも、それが叶わないことになることもあると言います。ですから油の準備を怠らないようにしましょう。
第一は、邪悪な行いを絶つ(15・18~19)ことです。 「しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。」
第二は、敵を愛する(5・43~44)ことです。「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」対立する民族、異教徒からの迫害があります。悪をもって応じないようにしましょう。
第三は他のキリスト者を愛する(24・9~13)ことです。「そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。・・・不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」信仰者はお互いに励まし合うことが必要です。
第四は他者を赦す(18・21~35)ことです。王は憐れに思って、家来を赦し、借金を帳消しにしてやりました。場合によっては、負債を免除することもあって良いと言われます。
第五は主イエスに忠実である(10・32~33)ことです。「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」
最後は神を愛する(22・37)ことです。「イエスは言われた。『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』」油を備える生活、それは神を愛し、隣人を愛する生活です。主イエスと共に心に潤いのある日々を送りましょう。(11月2日 主日礼拝)