説教「魂はその豊かさを楽しむ」

イザヤ書55章1~3節 マタイによる福音書14章13~21節

牧師 福井博文
主イエスは悔い改めて、主イエスと共に歩み始める人に、神の祝福が届けられることを説かれました。説教の中で「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。」(ルカ6・20~21a)と語られました。これは貧しいことは良いことだ、飢えていることは幸せなことだと言っておられるのではありません。わたしたちが悔い改め、神に立ち帰り、神を信頼して生き始めるとき、神の支配がわたしたちの間に実現するようになることを言われたのです。
エゼキエルは預言して言いました。「わたしは彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。わたしはイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。わたしは良い牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる。」(エゼキエル34・13~14)五千人の給食のエピソードはこの預言通り、主イエスが救い主として、牧者としてわたしたちを導き、養ってくださることを告げます。しかも主イエスは、わたしたちの心の糧と肉の糧の両方を提供してくださるのです。
五千人と言われますが、女性と子どもが除かれていますので、これを数に入れると二万人以上にもなります。この奇跡の給食の記事は、終末における盛大な晩餐会あるいは主の晩餐を想起させるものではありません。また、いのちのパンとしての御言葉の行きわたりを指し示すのでもありません。「我らの日用の糧を今日も与えたまえ。」という主の祈りの一節が実現された姿を示します。主イエスの祈りの中心は、御名を崇めさせ給え、御国を来たらせ給え、御心が天に行われるように地にも行わせ給えという祈りです。そこでは神の国の速やかな実現を祈っています。そのすぐ後に日用の糧のための祈りが来ます。
わたしたちがまだ若かった頃、世界が抱える課題は南北問題だと言われました。豊かな北の先進国と、貧しい南の発展途上国の間にある貧富の差が問題でした。グローバル資本主義が世界を覆いつつある現在では、北でも南でも同じように貧富の差が広がりつつあります。これを是正しなければ、暴動、紛争、テロ、戦争の原因となることは明らかです。人をして本気の戦争に駆り立てるのは食べることができないほどの貧しさです。
戦争を防ぐことができるのは、軍事力の均衡や核抑止力の存在や集団的自衛権の行使ではなく、むしろ平和を求める祈りと、広がりつつある貧富の格差の是正へのたゆまぬ努力です。平和の実現には、食料の供給と産業の育成だけでなく、神の約束を信頼する心の育成が必要となります。わたしたち人間にとって一番困難なことは、神が養ってくださることを信じることです。わたしたちは神を信頼し切れないため、自分で何とかしようとし、争いを始めるのです。信仰がなければ神の喜ばれることはできません。
主イエスは「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」と言われました。これは「あなたがた、まさにあなたがたが食べる物を与えなさい。」という意味です。主イエスは五千人の人々の中にも貧富の差があることをご存じでした。ですから、あなたがたが食べる物を与えなさいと言われたのです。また、五つのパンと二匹の魚という小さな痛みと犠牲を払うように言われます。パンと魚は当時の人々の日常的な食事の食材であり献立でした。
わたしたちはこんなものが役に立つかと勝手に諦めてしまいますが、こんなものが奇跡を起こすのです。神にとって少なすぎるということはありません。神のみわざは小さな奉仕から始まります。わたしたちが信仰と勇気を持って捧げるとき、神の祝福が始まります。わたしたちは神から与えられた賜物をそれぞれに出し合いましょう。
残ったパン屑は十二の籠一杯になりました。これは供給されるものの豊富さを言うのでなく、むしろ少ない物(資源)を大切に利用することの必要性が説かれているとの解釈も出されています。神は必要なものしか与えてくださいません。そこから、分かち合うことの大切さが出てくるのです。「あなたたちの魂はその豊かさを楽しむ。」これはわたしたちが主イエスによって与えられている経験です。主イエスの御教えに従い、これからも御国が来ますように祈りましょう。(8月3日 平和聖日礼拝)