10月4日主日礼拝説教

説教「平和の神はあなたがたと共に」 牧師 福井博文
聖書 イザヤ書26章7~15節 フィリピの信徒への手紙4章8~9節

 パウロは「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。」と言いました。
 ここに述べられることは、ギリシャ文化圏の道徳思想家たちによって推奨されていた徳目です。神々を信仰する多神教の世界においても、人間としてどのように生きることが尊ばれることかが分かっていたということです。ただ、ここでパウロが言及するときには別の意味が含まれます。これらの徳目はキリストによって示された神の愛によって味付けられるとき、本物に変えられるということをパウロは言いたいのです。
 「すべて真実なこと」は、隠れていない、事実ありのままのという意味です。隠しごとをしないということです。賢明な正直さを言うのであって、人間的な愚直さを言うのではありません。わたしたちが真実を愛するのは、それが人々を神に立ち帰らせ、人々を信仰深い者にするきっかけをつくるからです。
 「すべて気高いこと」は、行為が尊厳あるもの、尊ぶべきことという意味です。もとは拝むという動詞から来ています。人間の尊厳は、そのもの自体にあるというより、神を正しく礼拝する者に付与されるのです。人間の尊厳死は人間本来の権利として主張されるべきものではありません。むしろ神に喜ばれるため、人に喜ばれるために差し出される死がほんとうの尊厳死です。主イエスはわたしたちの罪を償うためにご自分の命を差し出されました。ここに愛があります。十字架の上での贖いの死は尊厳ある死でした。
 「すべて正しいこと」は、神の命令を守る、まっすぐなという意味です。正しさとは神に対する態度を言います。従って本当の正しさは神が望んでおられることを正しく知ることから始まります。個人的な正義感のことではありません。
 「すべて清いこと」は、純潔な、汚れていないという意味です。これもわたしたちの心がいつも神に向けられていることを言うのです。清さには男女関係のことだけでなく仕事における態度のことも言います。汚職や不正や謀略は自分を利することを目的としているため汚れているのです。
 「すべて愛すべきこと」は、~に向かって愛するという意味です。家族愛、友情といった仲間に向けられる思いやり、配慮のことを言います。パウロはここでは、神に向かって示される愛をも含めるよう期待しています。神を愛し、隣人を愛する人の行いは、わたしたちに不思議な感動と生きる目標を与えてくれるのです。
 「すべて名誉なこと」は、良いうわさという意味です。評判の良いことです。これはうまく演出されたことによる評判の良さでなく、神と人に対する誠実さから得られる評判のことです。
 最後に二つのことが付け加えられます。「徳」は、道徳的善のことです。英語ではモラルグッドネスです。「称賛に値すること」は、普通の人にはなかなかできない立派な行いのことを言うのです。これらも神の恵みによってのみ可能となります。
 「心に留めなさい。」は、勘定に入れる、数に入れるという意味です。パウロは、異邦人や未信者であっても、また宗教が異なっていても、正しいことが語られ、行われている場合は、これを正当に評価するよう勧めます。日本にも古くからの倫理観、道徳観があります。これらを頭から否定するのでなく、評価し、数に入れてくださいと言います。わたしたちキリスト教徒は対話を重視します。そうすることで良きものを取り入れる心の寛容さを持つことができるからです。
 パウロは何よりも「わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。」と言います。「実行しなさい。」は、ギリシャ語のプラッソーで行う、履行するという意味です。英語のプラクティスのもとになったと考えられます。これは主イエスが律法学者に語られたことと同じです。良きサマリア人の譬えをなさったあと、あなたも行って同じようにしなさいと言われました。この譬えは、他者に対し偏見を持たないこと、助けを必要としている人がおれば今ここでできることをしてあげなさいと教えます。
 「そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。」パウロは、見せかけではなく、本当の意味で信仰深い生活をする者には必ず平和が与えられると言います。幸せな生涯とは、地位や名誉や財産を手に入れることではありません。多くの信頼でき、尊敬できる家族や友を得ることができる生涯のことを言います。
 ここでは「平和の神が共にいてくださる。」ということだけが言われ「平穏無事な人生が約束されています」とは言われていません。むしろ、わたしたちには試練多き人生が用意されているのです。それでもなお「お世話になりました。感謝でいっぱいの人生でした。」「ありがとうございました。」と言いつつ、天に召されていくことができる者にされるのです。それは平和の神が共にいてくださるからです。 (2020年10月4日 聖霊降臨節第19主日礼拝)