12月13日主日礼拝説教

説教「神を知らせる光」 副牧師 平向倫明
聖書 詩編43編3節、ヨハネによる福音書1章1~5節

 東中通教会が配布したクリスマス礼拝のチラシには、「ほんとうのクリスマスをあなたに」と書かれていますが、本当のクリスマスのお祝いと、本当ではないクリスマスのお祝いとでは、何が異なるのでしょうか。
 「クリスマス」とは、“「クリスト」(キリスト)+「マス」(集団・ミサ)”で、「キリストを皆で礼拝する」という意味です。ですから、このチラシを配布する事には、受け取った人にキリストを礼拝する人になって欲しいとの願いが込められていると言えます。キリストを礼拝する事、これが本当のクリスマスを祝う姿であります。
 しかしながら、私たちが伝道する場合、伝道対象者の方が信仰を持ってキリストを礼拝する人になるということは、そう簡単ではありません。信仰を持つためには、キリストとは誰なのか、私たちとどういう関係にある人なのか、なぜキリストを礼拝する必要があるのか、などなど、多くのことを理解して、信じてもらわなければならない訳です。しかし、伝道のためにその様なことを言葉で説明しようとしても、大抵の場合「今、忙しいから後でね」と断られてしまうのです。ですから、信仰を持つ場合、当人自らが興味を持って、神のこと、救い主のこと、聖書に書いてあることを知ろうとするのでなければ、信仰に辿り着くことは難しいのだと思います。

 本日の御言、ヨハネ福音書1章1-4節にある「言(ことば)」は、ギリシャ語の「ロゴス」で、イエス・キリストを表しています。このため、「言」と記された箇所を「イエス・キリスト」に置き換えて読みますとこうなります。

 「初めにイエス・キリストがあった。イエス・キリストは神と共にあった。イエス・キリストは神であった。このイエス・キリストは、初めに神と共にあった。万物は、イエス・キリストによって成った。成ったもので、イエス・キリストによらずに成ったものは何一つなかった。イエス・キリストの内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」

 この様に読みますと、イエス・キリストの命が、人間を照らす光であることが分かります。そして、イエス・キリストの命が際立つのは、あの十字架の場面なのではないでしょうか。全く罪のない御方が、罪に満ちた人間の救いのために、十字架の上で、その尊い命を犠牲としてお捧げくださったその命の光が、私たち人間を照らす光であったとヨハネ福音書の冒頭部分で宣言されていたのです。
 主イエス・キリストがこの地上で生きておられた時、主は、語られた言葉と奇跡の御業によって、父なる神を証してくださいました。そして、十字架の上で捧げられた御自身の命の光が私たちを照らすとき、私たちは、その光に照らされてはっきりと自分自身の姿を自分の目で見ることになるのです。しかし、その光に照らし出された自分の姿は、貪欲で自己中心的で、保身のために平気で嘘をつき、困っている隣人に目を瞑って忙しい振りをして素通りし、恥をかくまいと虚栄心で自分を飾り、自分が称賛される場を好み、競争相手を妨害してでも自分が上に立とうとし、誰も見ていない・誰にも知られないと分かると罪を犯そうとして神の目を軽んじる、その様な罪深い姿なのではないでしょうか。でも、その様な私たちのために、何の罪もない神の御子であられる主イエス・キリストが、私たちの身代わりとなって、十字架の上で罪人として蔑まれ、嘲られ、痛みと苦しみの中で死んで行かれたのです。
 何故、そこまでして、その様な者たちの身代わりとなってくださったのか。その理由は、神が、罪人の私たちをただ無条件に愛してくださったからなのです。主の光に照らされて、自分の醜い姿を見出し、自分で自分が嫌いになり、自己嫌悪で押し潰されそうになった者を、主は、心から愛してくださったのです。恐らくこの神の愛に優る価値を、私たちはこの世で見出すことは出来ないでありましょう。
 主イエス・キリストは、御自身の命の光で私たちを照らすために、この地上にお生まれになられました。本日の説教題は「神を知らせる光」とありますが、その光は、神を照らすと言うよりは、まず人を照らしたのです。人間の真の姿を照らし出したのです。その光の下で、人が自分の姿をあからさまに見たとき、人は、自分の醜さに押し潰されそうになり、神に助けを求めないではいられなくなるのです。こうなると、自ら神を求め、イエス・キリストのことをもっと知ろうとし、聖書をもっと読みたくなるはずなのです。この様にして、自分の罪を知った者は、救いの神をも知る者とされるのであります。
 主イエス・キリストは、光でありました。その光に照らし出されて、人間は自分の罪の姿を知ることになり、同時に、その様な者を愛してくださる神の愛をも知ったのです。主イエス・キリストの命の光は、人間を照らし、人間の真実を人間にはっきりと見せることで、神の愛をも知らせてくださる恵みに満ちた光なのです。