2021年2月7日主日礼拝説教

説教「柔和な人々は幸いである」 牧師 福井博文
聖書 詩編37編1~11節、マタイによる福音書5章4~5節

 前回「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」という主イエスのみ言葉の意味を一緒に考えました。その意味は、この世の金銭や権力をより頼むのではなく、神により頼み、神のお心を大切に生きる者に、神の国が約束されているということでした。今日の箇所はその続きになりますが、実は後の5節が、はじめは3節の続きに来ていたと言われています。「心の貧しい人々は幸いである」という言葉に、「柔和な人々は幸いである」と続いていたのです。そこでこの二つの文章は同じようなことが強調されていたと考えることができます。
 「柔和な人々」はギリシャ語でプラウスです。温和な、英語ではジェントゥルという意味です。マタイ福音書11章29節にも出ます。そこで柔和さは心のへりくだった人のことであることが分かります。自分に与えられた軛を喜んで担う人にこそ柔和さは見られるのです。わたしたちは貧しさの中で、さまざまな軛を背負っています。生きるための労働、子孫を残すための子育て、社会を住み良くするための責任、障害者、病者、高齢者のお世話等です。投げ出したくなることもしばしばです。あの世に行けば楽になれると考えることもあります。
 しかし、主イエスが求められのは、あの世に帰ることでもなく、奇跡を待つことでもなく、感謝を持って与えられた重荷を担うこと、軛を背負うことです。そしてわたしたちは「ただすべきことをしたにすぎません。」というのです。これが柔和であることです。主イエスは仰せになります。このような人々は幸いです。きっと地を受け継ぐでしょうと言われます。
 「地を受け継ぐ」の「受け継ぐ」はギリシャ語でクレロノメオーです。「相続する」「(神の国を)受け継ぐ」という意味です。名詞のクレロノモスは「世継ぎ」という意味です。神は大切な遺産を相続させるにあたりわたしたちをご覧になっておられます。大切なものを相続する人は、謙遜であること、忠実であること、欲心がない者であることが求められます。また相続したものを相応しい者に譲り渡して行く者でもなければなりません。
 「地」はギリシャ語のゲアです。土地、英語ではアースです。これは地球の地表部分の土や岩石に注目した言葉ですが、英語にはもう一つの言葉があります。ガイアです。もとはギリシャ神話に登場する大地の女神を意味しました。しかし、のちにノーベル賞作家のウイリアム・ゴールディングが地球を指してガイアと呼んだことから、ガイア=地球という解釈が定着しました。ガイアは、地面だけでなく、水、空気、そして地球に生きる生物も含めた地球全体を指します。神はこの世界を忠実で責任ある者に委ねようとなさるのです。
 次ぎに4節「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」という主イエスの言葉について考えましょう。この文章は後に来る6節につながる言葉です。驚いたことに主イエスは「悲しむ人々は幸いである」と言われました。悲しむはギリシャ語でペンテオーです。「悲しむ」「嘆く」という意味です。これは愛する人を亡くし悲しみに打ち拉がれている人のことでなく、自分自身の罪深さを嘆く人のことでもありません。人々のあいだで正義が行われていないことに対する悲しみです。
 貧しさの中で飢えと寒さに震える人々がいます。これをただ見ていることしかできない者の悲しさを言います。「主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人々を慰め、シオンのゆえに嘆いている人々に/灰に代えて冠をかぶらせ/嘆きに代えて喜びの香油を/暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた/正義の樫の木と呼ばれる。」。(イザヤ書61章2~3節参照)これはわたしたちに救い主が遣わされるとの神の約束です。
 「慰められる」は、ギリシャ語のパラカレオーで「傍らに呼ぶ」という意味です。未完了、受動態ですので「傍らに呼ばれる」という意味です。救い主によってすぐにでも「慰められる」というのです。主イエスは人々にこのように語りかけながら、神の国と神の義を求めて十字架に掛けられていきました。しかし神は約束通りこの主イエスをよみがえらせ、悲しむ人々と共にいつも居てくださることを証明してくださったのです。主の慰めを受け神の国と神の義を求めて生きましょう。(降誕節第七主日礼拝 2月7日)