人の思いと神の愛

聖書 イザヤ書 42章10〜16節 | マルコによる福音書 16章1〜8節

1か月ほど前、スーパーに行って、レシピブックを手に取りました。イースターの料理が表紙になっています。家に帰ってよく眺めてみると、何かおかしいのです。春をお祝いする行事として巷に浸透してきたイースターが、見なれないものだったからでしょう。

それは、ピッツァでした。ピッツァに、小さなヒヨコと、ウサギをかたどった卵がのっているのです。教会では、イースターの前日に卵を茹で、それを飾りとして用います。

翌日の礼拝後に土産として持ち帰り、その日の内に食べるというのが一般的な習慣です。手の込んだ料理を作ることは、あまりありません。「飾る前に作ったのかな」と思わせる料理でした。

 残念ながら、春のお祝いというだけでは、イースターの意味は伝わりません。イースターは、弟子たちが墓を訪れ、主イエスの遺体がないことを発見する出来事でした。卵の飾りは、もとは、中身を除いた卵が使われることが多かったのです。卵の殻は、空の墓を伝えるもの。空の墓からは御使いの声が聞こえます。

「あの方は復活なさって、ここにはおられない。……復活なさったのだ。」(マタイ28章6節)「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。」(マルコ16章7節)

聞いたのは女性の弟子たちでした。

 この人たちは復活のキリストに最初に出会った人たちです。非常に恐れたということが記されます。しかしそこから、復活のイエスを知る歩みへと導かれました。復活の命は私たちに新しい命が与えられることのしるしです。イエス・キリストは、わたしたちの復活の初穂となってくださいました。十字架の苦しみと葬りがありましたが、それで終わりなのではない、復活の命があるのだということを伝えてくださいました。

 この復活の物語を伝えために、「音楽」が、ある役割を果たしてきました。復活節に奏でられる前奏曲や讃美歌には、よく聞く綺麗な和音ではなく、不思議な響きがする音形を使うのです。これは、私たちに伝えられた復活が「不思議な」出来事だったということを歌うためです。

イエス・キリストの最初の復活の証人たちは、恐れをなしました。マルコ福音書には、「(婦人たちが)震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(16章8節)と伝えます。はじめは、そうだったのです。

 この不思議な出来事を経験した人たちの驚き。その後、復活の主イエスが現れて、弟子たちに挨拶する、その喜び。キリストの命を知るということは、そういう不思議な出来事に導かれていくということです。

 今、私たちの時代に起こっているのは、死が目前に迫り、その危機を誰しもが感じているということです。医療が発展し、様々な治療法が生み出され、死の前に準備の時を持つことがあります。

一方で、死について考える時間もないほどに、突然に死を迎え、その死について考えなくてはならない使命を家族が負うことがあります。感染症によって、突然亡くなってしまった知人や友人を持っている方たちもいることでしょう。国と国との戦争の中で、悲しみに明け暮れている方たちもいます。

 このような現実の中で、死の先に復活の命があるということ、その喜びが、今日も世界の至るところの教会で歌われています。復活の命を歌う不思議な賛美の響きを、私たちは今日も響かせています。

神を知るというだけではなく、イエス・キリストの命を知って生きる者がいます。人間の知恵や思いだけでは推し測ったり、言い表したりすることができない、神の不思議に気づく人たちがいます。その不思議を歌う賛美の響きを、どこかで知る、そういうイースターであってほしいと願います。

 女性の弟子たちは、復活した主に、温かい言葉を掛けられました。「おはよう」(マタイ28・9)。平和の挨拶です。復活の主に出会った人たちの物語は、4つの福音書で、ちょっとずつ違いますが、最初に墓に行ったのが婦人たちであること、マグダラのマリアが最初の証人であったことが一致しています。

いずれの場合も、この人たちは皆、復活の命、すなわちイエス・キリストの命を知って、生きる者となったのです。

 この人たちは、どんな気持ちでイエス・キリストに出会ったのでしょう。最初は恐れがありました。その後に、祝福の言葉を与えられました。神の愛が、確信されました。私たちの思いを超えて与えられたのは、神の愛。神の愛は、キリストの命を通して与えられたのです。不思議な賛美の響きに、更に不思議な響きが重ねられます。

 この復活の祝いの日、私たちは祝いの記念品である卵を持ち帰り、祝いの余韻を楽しみます。その時にも、人間の思いを超えた神の愛が響き渡っていることを願います。賛美する者の響きが、人々に慰めを与えますように。

(2022年4月17日 復活節第1主日イースター礼拝 説教要旨 牧師 片岡宝子)