善いことが起ころうとしている

聖書 イザヤ書 33章17~22節 |マタイによる福音書25章1~13節

 キリスト教会をよく知らない人に聞かれることがあります。「教会って、何をしているんですか?」例えば、こんな答え方があります。「キリストが再び来られるのを待っています。」そうすると、こう聞いてくるかもしれません。「へえ、どれくらい、待ってるの?」勇気を出して答えましょう。

「およそ2000年です。」

 教会は、主イエスの再臨を待っています。呆れるほど長く。信じられないような時間を辛抱して、待ち続けることができる。それが私たちキリスト者です。いつかはわかりません。

 「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

 では、どう目を覚ましていればよいのでしょう。5節に、こうあります。「ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆、眠気がさして眠り込んでしまった。」実は皆、眠ってしまっています。愚かでも賢くても、全員眠った。「目を覚ましていなさい」というのは、文字通り眠らずにいなさいというわけではないのです。眠っていい。むしろ、安心して眠ることができる。

 それが賢いおとめたちなのでした。賢いおとめたちの行動は、ちょっとしたことです。ともし火のほかに、予備の油を持つ。それで火をともし続けることができました。

 賢く生きるか、愚かに生きるか。日本でもよく知られた諺があります。「備えあれば憂いなし。」いつ来るかわからない災害に対して、油断をしないようにと教えます。それが賢い生き方だと。

 しかし、マタイ福音書が言う、賢さとは「備えあれば憂いなし」とは、かなり違います。そもそも、主イエスが告げるのは、災害ではありません。既に約束された結婚が成就する祝いごとです。善いことが起ころうとしているのです。注意していただきたいのは、マタイ福音書というのは、福音書であるということです。

 福音書は、立派な教えや賢い生き方を説く、そんな性格の書物ではないのです。世の中の誰にも届けられる、お話しをしています。確かに厳しい教えが含まれます。それでも、マタイ福音書が福音書である一番の理由、それは、あなたにとって「良い知らせ」を伝えていることです。とっておきの良い知らせ、福音、グッドニュースが、あなたに届く。それを伝えるのが福音書です。主イエスは、あなたに、どうしても、知ってもらいたいんです。

 この話しを聞くあなたが、愚かであってよいはずがないでしょうと。今までは、愚かなおとめのようであったかもしれない。神さまに目を向けられず、何の用意もできず、ただ、なんとなく日々を過ごしてしまっていたかもしれない。それでも、あなたは、今から、賢いおとめになることができるのです。この良い知らせを伝えたい。それが主イエスの願われたことでした。

 主イエスの願いは切実なものでした。このたとえは、25章に置かれています。次の26章は、もう主イエスが殺されようとしている場面に入ります。愛する弟子たちと最後の晩餐をし、ゲッセマネで、孤独に祈ります。主イエスは、悲しみもだえ、うつ伏せになって祈るんです。主イエスの言葉です。

 「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に、目を覚ましていなさい。」

 そして、主イエスは捕らえられ、棍棒で殴られ、十字架にかかって、孤独に死んでいった。神の子でありながら、誰からも見捨てられて、死んだ。「他人は救ったのに、自分は救えなかった。」人間を救うため、主は、十字架を背負わなければならなかった。

 そんな受難の苦しみの緊迫した予感の中で、この十人のおとめの物語を紡ぎました。自分の死という暗闇が迫るときに、真逆にあるような結婚の祝いのともし火の話をされた。主イエスには地上で残されている時間がもうない。それでも、なんとか、これだけは伝えたい。あなたは罪赦された者として生きなさいと。あなたは、賢さを選ぶことができます。

 ともし火を掲げて、祝いの中に入っていく事ができる。死の直前になっても、主イエスは、あなたを愚かさから救うことを諦めていないんです。必ず善いことがあなたに起ころうとしている。それは、あなたが神さまにしっかりと結びつくということでした。イザヤ書の預言の通りです。

 「主は我らの王となって、我らを救われる。」

 聖書は、この神と人間の結びつきを、度々、幸福な結婚にたとえてきました。花婿は、主イエス。花嫁は教会。この祝宴に入ることができる付き添いのおとめたちは、私たちです。

 主イエスは、再び、やってきます。婚宴のときは、今すぐではないかもしれません。だから、目覚めていなさい。けれども、善いことの訪れを信じ、準備をしている者は、安心して、眠りにつく事ができます。

 そのとき、天の国の到来は、確かに、その人に近づいています。

(2021年10月17日 聖霊降臨節第22主日 ファミリー礼拝 説教要旨 伝道師 片岡賢蔵