神の教会の基礎・建物

聖書 ヨナ書 3章1〜5節|使徒言行録 9章26〜31節

 私たちは教会の建物を見る時、何を見ているでしょうか。きらびやかな装飾でしょうか。神殿のように立派な柱でしょうか。東中通教会の外壁には装飾がなく、十字架が数本あるだけです。目を見張るような構造物でもありません。しかし私たちの教会には、この群れが神の救いを伝えるという「驚き」があります。私たち教会は「神の建物」と呼ばれます。

 イエス・キリストは、かつての王国の都エルサレムのゴルゴタの丘で死にました。およそ二千年前にあった古い処刑場です。その場所を確定するのは難しいのですが、城壁の外だっただろうと考えられています。処刑場や墓地は一般的に町の外れにありました。イエス・キリストが復活された朝、女たちは出かけて行き、墓地にて主の墓が開いていることを発見します。マグダラのマリアはその場所に戻り、復活の主イエスに出会いました。使徒たち・他の弟子たちにも復活の主は出会ってくださいました。現在では、墓地があったと考えられている場所に、聖墳墓教会が建てられています。コロナ禍で今は行けませんが、多くの巡礼者が訪れる場所となっています。

 主イエスの復活と昇天の後、使徒たち・主の弟子たちはエルサレムに留まり、イエス・キリストの救いを伝え始めました。主イエスの死と復活の証人となったのです。この使徒たちの働きに、サウロ、後のパウロが加わったことを報告するのが、今日読まれた使徒言行録の聖書箇所です。

 パウロは、共に名前が記されるバルナバらと一緒に、教会の宣教の働きをした人です。新約聖書の27巻の内、13巻がパウロの名による書簡です。その内7書は真正なパウロ書簡と呼ばれ、ほぼ異論なくパウロに由来する書簡とみなされています。つまりパウロは後のキリスト者たち、福音を伝えられる人たちにとって多大な貢献なしたのです。

 パウロはその賜物・働きゆえに多くの迫害にもあいました。しかしパウロ自身が、かつては教会の迫害者でした。パウロはタルソスという小アジアの一都市、今のトルコ中南部の町の生まれで、エルサレムにいたガマリエルという人物に学びます。ガマリエルはユダヤ人の最高法院で指導的な発言をする長老で、当時非常に尊敬されていた宗教指導者でした。サウロ=パウロはこのガマリエルの弟子で、ファリサイ派の一員でした。ステファノが殉教した際に、迫害する者たちの側に立っていました。

 ステファノの殉教の後、サウロはキリスト者を捕らえるためダマスコに向かいます。その道すがら復活のイエスに出会い、ダマスコで洗礼を受け、それまでの生き方を変えました(使徒9章前半)。パウロはすぐに力強く証し始めたため、殺害計画が立てられました。それでエルサレムに戻ってきます。使徒たち・他の弟子たちは、回心したパウロの噂を聞きつつ、恐れていました。バルナバがパウロを使徒たちに紹介すると、信頼を得て活動ができるようになりました。ただしパウロ殺害計画があることが知られために、そこでの活動は短いものでした。パウロはタルソスに一時逃れ、そこからまた移住し、バルナバのいるアンティオキア教会に加わることになります。

 

 アンティオキア教会は、異邦人伝道の拠点となったところです。今日の箇所のまとめの句、パウロのエルサレム出発を記す使徒言行録9章31節には、教会の広がりを予見させる語が記されています。「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」キリストの死と復活の証人たちを中心に、エルサレムから世界に教会が広がっていくのです。

 この教会はイエス・キリストを中心とし、イエス・キリストを信じる信仰告白を基礎として建て上げられる教会です。基礎は建物において、最も重要な土台に当たるもの、もしくはその土台に組み込まれる柱です。この基礎はかつての教会の迫害者パウロも加わって、固められていったのです。ここには「驚き」があります。しかもパウロ自身、自認していました。パウロは自分が教会の基礎の一部であることを確信していたのです。「神の建物」とは、パウロが教会に宛てた手紙にある言葉なのです。パウロは自分が使徒たちと同じ働きをなす者であるとも自覚していました。

 復活の主は、このようにして教会に招かれるものを結びます。わたしたちはその結ばれたところを見ます。私たちが誇るべきは、この「驚き」なのです。使徒言行録に記される平和を保つ教会の姿とは、全ての人、全ての家族、全ての民族をつなぐ教会です。

(2021年8月1日 聖霊降臨節第11主日 平和聖日礼拝 説教要旨 牧師 片岡宝子)