聖霊により一つに

聖書 ヨエル書 2章23〜3章2節|使徒言行録 2章1節〜11節

 5月22日、東中通教会と近隣教会の共同管理墓地「シオンの丘」に行ってまいりました。三年前に亡くなられた姉妹の埋骨のためです。ご遺族とシオンの丘担当長老、伝道師と一緒でした。シオンの丘の門の先には松の木が数本あり、その側に納骨堂があります。納骨堂を脇に見ながら階段を登ると、なだらかな傾斜地にでます。見回すと十字の印や聖書の言葉が刻まれた墓石が所々に並んでいます。海に近く、時折強い風が吹いてきます。夏は草が茂るし、冬は寒い。管理は楽ではないと聞きました。しかし兄弟姉妹の祈りや賛美が響いているようでした。そこで感じた風は、気持ちの良いものでした。

 風は四方から吹いてきて、大きな力を周囲に感じさせるものです。今日はペンテコステです。「神の霊」である「風」の話をしたいと思います。創世記1章で、「風」は、天地を創った神の「霊」として語られます。神は、混沌・闇、すなわち形なく虚しいものから、天地を創造されました。生き物は息をし、世界には秩序が与えられました。神はそれらを見て、良しとされました。神にかたどられ、人(男と女)が創造されました。創世記2章では、最初の人が、土(アダマ)の塵からつくられたことが記されます。神からの息「ニスマト」(ヘブライ語のネシャマー)が吹き入れられて、人間は生きる者、息ある者(ネフェシュ)となったのです。神の霊である風は、この生きる者となった人間に働きかけます。

 創世記3章、風の吹く頃、主なる神がエデンの園を歩いてきます。最初の男と女であるアダムとエバは、神の足音を聞き、木の間に隠れました。神の言いつけに背き、善悪を知る木の実を食べてしまったためです。最初の人が罪を犯してしまってから、人間には「原罪」と呼ばれる罪が入り込んだと聖書は言います。この「原罪」を伝えるアダムとエバの物語は、二人が風を感じ、神の足音を聞いたこと、なお、神の言葉を聞くことができたことを伝えます。「どこにいるのか」。神の声。この呼びかけに対するアダムの返答。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。」

 この創世記を思い出させる風が、使徒言行録に記されています。2章1節「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」エデンの園と違って、家の中です。そこにいた一同とは、イエス・キリストを信じた弟子たち、キリストの死と復活を証する証人です。主イエスは正しい方、罪のない方であったのに、人々の罪を負って十字架刑によって死にました。しかし復活し、弟子たちと出会われました。そして40日に渡り、神の国について再び弟子たちに教えを授けた後、天に上げられました。彼ら・彼女らの目にはもはやキリストの姿は見えません。

 しかし希望をもって祈り続けたところ、神のあらわれである風を感じました。その風は突然吹いてきて、家を揺り動かしたのです。この風は、イエス・キリストが示してくださった、助け主である神の霊の力です。霊の働きがあらわれたことを、皆が感じたのです。風と共に現れ一人ひとりの上にとどまった炎は、聖霊によるきよめの「しるし」であり、義の実が結ばれることの開始を、弟子たち一人ひとりに悟らせました。

 神からの力を受けた弟子たちは、さまざまな国・地域の言葉で語り出しました。私はこの続きを聞いていつも安心するのですが、家の近くを通りかかった人たちは驚き、「酒に酔っているのだ」と疑ったのです。この人たちは、五旬祭(ペンテコステ)に合わせてエルサレムの神殿にやってきた人たちでしょう。疑った、けれども確かにこの出来事に出会ったというのです。神のみ前で、神を信じる人たちが隠れることなく、一人だけで祈ることもなく、あるいは一つのグループだけで祈るのでもなく、また一つの言語で祈るのでもなく、皆で等しく”霊”の賜物を受けて歩むことができるようなったのです。聖霊の力を受けた弟子たちの物語は、私たちの救いの物語の開始についても伝えます。

 聖霊の洗礼(バプテスマ)を受ける者があらわれ、神への祈り、神への賛美が、一つの霊によってささげられるようになりました。確かに多くの者たちが、この出来事により神に立ち返って、イエス・キリストを知るようになりました。神のもとから、イエス・キリストの恵みによって吹きつける風。強い風が四方から吹いてきて、時々大きな音を周囲に響かせます。私たちは、神の力を知らされています。

(2021年5月23日 ペンテコステ礼拝 説教要旨 牧師 片岡宝子)