老シメオンの歌
聖書 サムエル記 上 1章20〜28節 | ルカによる福音書 2章21〜40a節
元旦の礼拝を守ることが許され、感謝をいたします。早朝礼拝が、今朝も行われました。牧師館を出た時に、神社に行くと思われる若者の一行に出会いました。日本は不思議な国で、仏教徒が多く、神道、その他たくさんの宗教がありますけれども、無神論が多いと一般的には言われます。
一方で年中行儀を家族と共に守るという習慣を持つ国民です。何か畏れるものを持って家族と共に過ごす、共同体の中で過ごす、善いものを求めていく、そういう習慣がきっとあるのだと思います。新しい年を兄弟姉妹と共に祈って始める。私たちの教会にも、良い習慣があります。
1月には、キリスト教一致祈祷週間が訪れます。キリスト教諸派で祈る運動です。この新潟地区でも、祈祷会が行われる予定となりました。昨日は、カトリックの名誉教皇ベネディクト16世が死去されたというニュースが飛び込んできました。神学者、教会を牧する者、教会のすべてのことをリードする者として働き、発信した人です。今年のクリスマスは日曜日でした。この新年を祝う日も、日曜日。私たちは全世界の兄弟姉妹と共に、クリスマスの祝いと、新年の祝いを祝っています。このことを覚えたいと思います。
ルカによる福音書が読まれました。マタイ福音書に記されている占星術の博士たちの来訪が公現日の出来事として覚えられますが、ルカ福音書では、神殿詣の記事において主イエス・キリストが公の場に現れたことが描かれます。ここで、聖家族は老シメオンと老アンナに出会います。
シメオンは正しい人で、信仰があつく、預言者の言葉を理解し、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた人です。実際に待ち望んで、祈っていました。それ故に、聖霊が彼に留まっていたのです。シメオンは、イエスに出会い、こう賛美します。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます」(29節)。
その後に続くシメオンの歌は、全ての民また全ての民族、全被造物のための救い主をたたえるものでした。シメオンはこの後、イエスの母マリアに、「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」(35節)と、イエスの受難を予期させる言葉を告げます。主イエスがメシアであり、救い主であり全ての人のために来られたこと、「受難の主」であると、シメオンは知っていました。
もう一人、老アンナが登場します。84歳でした。毎日神殿にやってきて、祈ったり、断食したりしていました。アンナはそれで、主イエスに出会うことができました。ここにも、敬虔深い信仰者の姿があります。この人も、賛美します。「エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した」(38節)と記されているのです。アンナを知っていた人たちがいたでしょう。あのアンナが、神を賛美している! 主イエスが公に現れた日のことを、このようにルカ福音書は伝えます。
枠組みとしてあるのは、律法の規定通りに、イエスの母マリアと夫ヨセフが幼子イエスを連れて神殿に詣でたことです。そこで主イエス・キリストを神にささげた(22節参照)のです。主イエスの両親の信仰が現れています。
主イエスの近くにいる人たちに神は、救いの光を確かに見させてくだいます。老シメオンは幼子を抱きながら、メシア・イエスを抱きかかえながら神を賛美したのです。アンナも、そうであったと思います。神と人との近さを、ここでは見ることができます。私たちの教会にも、老シメオン、老アンナがいると思います。いつでも正しい人、信仰に篤い人たちは、私たちの尊敬すべきモデルです。
『信徒の友』という雑誌があります。そこに「日毎の糧」という、聖書日課と教会の祈りの課題を記したページがあります。12月6日、東中通教会が紹介されました。その記事を読み祈ってくださった方々が、葉書を送ってくださいました。老シメオン、老アンナ、年を重ねた方々だけではありません。毎日、祈りをささげている方々、毎日、主イエスを覚える教会に通う方々がいます。主イエスに直接会って、喜び溢れて賛美した人たちのように、私たちも、私たちの中心にいてくださる主イエスの御名を覚え、主イエスがご降誕されたことを喜び、この主イエスに出会って、自分たちのそれぞれの場所に帰っていくことができますように。
(降誕節第2主日礼拝 1月1日 片岡宝子牧師)
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