聖夜賛美礼拝「天使たちの礼拝」

聖書 ルカによる福音書2章10〜14節 | ヘブライ人への手紙1章1〜6節

「さやかに星はきらめき、

 み子イエス生まれたもう。」

 今宵、聖歌隊の賛美が、礼拝堂に響き渡りました。感染症対策のために休止の状態でした。再開にあたっては、完全な状態に戻っていない、うまくいくだろうか、そんな不安の声がありました。それでも聖歌隊の賛美が響き渡ったのです。

 キリストの信仰を持つことの良さは、たくさんあるのですが、この一つは、そんな自らは完全ではない、うまくいかないと思うとき、ゆだねることができるということです。そうして、すべてをゆだねると、どうでしょう。不思議なことに力が与えられます。まだ歌うことができる。声を出せる。あなたは、きっと立ち上がれる。そう肯定する声を聞くことができるのです。あなたは完全でなくてもいい。完全さというのは、わたしの仕事だ。神さまが、後押しをしてくださる。そういう喜びの中に生きることができます。

 クリスチャンではない方から、聖書に関心はあっても、教会には足が向かないと言われることがあります。「私のような汚れた人間は、教会なんていう清らかなところには、とても行けない。」でも、もし、心が清らかでないと教会に行けないなら、ここには誰もいなくなってしまいます。毎週日曜の礼拝堂は、空っぽになってしまう。

 そうではなく、ぜひ全身、泥んこのよう。汚れた状態のまま、教会に来ていただきたい。ここは、自分の不完全さを、さらけだすことができる場所です。自分の中の暗闇が色濃くなっていく。そこのところで、神さまが、あなたの中に光を入れ込んでくださるのです。このとき、本当の安らぎを得ます。

「恐れるな。今日、あなたがたのために、救い主がお生まれになった。」

 今宵、神の御子が、あなたのところに来られた。そこで、あなたは知ります。神の御子は、まばゆい栄光に包まれて、力強く来られたのではなかった。全く力を持たず、布にくるまって飼い葉桶の中に眠っている。ここは王宮ではない。街中の宿屋からも遠ざけられた。動物たちの匂いがしてくる暗いところ。貧しく、薄汚れた所に、乳飲み子として、神の御子は、お生まれなさった。聖書は告げます。

「これがあなたがたへのしるしである。」

 この乳飲み子が、あなたがたを救う。大きな喜びを告げると言います。一体、どういうことでしょう。民全体に与えられる大きな喜びだなんて。

 それは、こういうことではないか。私たちは、闇を抱えたまま、神さまの方を向くことができるようになるということ。無力な乳飲み子を前にして、自分を偽ることをしなくていい。あなたが完全である必要はない。ボロボロの状態でも、礼拝することができるようになるのです。そこに、あたたかさが、あるのではないでしょうか。完全なもの、それは美しいかもしれませんが、冷たい感じがします。

 最初のクリスマスの夜、神の御子を前にして、礼拝を献げたのは、天使たちでした。

「いと高き所には栄光、神にあれ。」

 天使たちの礼拝は、私たちの礼拝と比べると、なんと力強いことでしょう。光に満ち、迷いが少しもない。でも、新約聖書は、天使を持ち上げているのではありません。今日、読まれたヘブライ人への手紙では、御子がいかに優れているか、わざわざ天使たちと比較しています。

「御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。」

 なぜか。天使たちに、役割を思い出させているのです。天使よ、立場をわきまえよと。

「神の天使たちは、皆、神を礼拝せよ。」

 実は、当時のユダヤで、救い主メシアを待望する運動が盛り上がったとき、天使が、もてはやされる混乱が起こっていました。暗い時代に、天使は華々しく映ります。だからこそ、新約聖書は、天使を、ただ神を礼拝する者として登場させるのです。羊飼たちに近づく天使は、素朴に仕事を全うするだけです。高きに在す御子が、地に来られたと告げる。

「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

 そして、天使たちは去っていく。すると、こうも言えるのではないか。クリスマスは、天使たちが、地で神の礼拝を献げたときであった。そしてここからは、人間たちの出番だ。天の礼拝が、地にもなるように。私たちに、御子を通して、礼拝を献げる役目が与えられたのです。完全な状態からは程遠い私たちに、大いなる使命が与えられた。

 外では世界が嵐のように荒れ狂っています。クリスマスを祝ってなどいられない。そういう声もあるでしょう。イスラエルによるガザでの大量虐殺。まさに聖なる地と呼ばれる場所で起こっている。平和が遠い。それでも、今夜、私たちは、神を賛美する者となります。礼拝を献げる者となります。光を絶やすことのない御子が、私たちと共におられるのだから。

 「ひろめよ、きよきみわざを、
  たたえよ、こえのかぎり。」

(聖夜賛美礼拝 12月24日 片岡賢蔵牧師)