星占いから始まる旅

聖書 イザヤ書42章1〜9節 | マタイによる福音書 2章1〜12節

 教会生活の喜びは、礼拝に向かう時の景色と、礼拝から出ていく時の景色が変わることです。重たかった足取りは、軽く、自分のことばかり考えていたのが、周りのことを考えるように、下を向いていたのが、少し上を向くようになる。そうして礼拝からの帰り道が変わっていくのです。東方の占星術の学者たちの旅も、そうでした。神の御子に出会い、礼拝をささげた帰り道、互いに顔を見合わせる。この旅をしてきて、本当によかったなあ。そこには、大きな喜びが生まれていました。

「学者たちは、その星を見て喜びにあふれた。」

 彼らは、現代のマジシャンの語源であるマギと呼ばれていた。賢い学者として尊敬される一方、星占いの魔術師、星への信仰を持つ。当時からして、怪しく思われるところもあったようです。星の位置や動きを測り、人間社会のあり方と結びつけて考えた。偉大な王が亡くなると星の位置を捉え、再び同じ位置に星が並ぶとき、誰か命を落とすかもしれないことを告げた。あるいは、夜明け前、輝く星が現れると、新しい王が誕生したと読み取った。

 しかし、旅を始めた彼らとしても、どこか不確かなことがあったのかもしれません。星占いが必ずしも当たる予測ではないこと。この仕事に生涯をささげていいのだろうかと。彼らの旅は、不確かな星占いから始まりました。

 私自身のことですが、将来の定まらない高校3年の頃。趣味が手品で、マジシャンにでもなろうと思っていました。そんなぷらぷらした感じだったので、大学受験に失敗。翌年の受験で、いろんな分野の土台を学べるのではと、建築学科を選びました。そこで、ある建築家の言葉と出会った。

「神は、細部に宿る。」

 この言葉は、将来が不確かだった私を妙に落ち着かせる響きがありました。細部に気を配って、建築の設計を行うなら、全体として善いもの、神のなさるように美しい建築になるという意味合いがあります。この言葉に、創造主のなさる行いに触れる気がしました。

 ときに、私たちは、神の御業について、嵐や大洪水といったダイナミックな働きを思い描きがちです。神は、天の高いところから見下ろしているようだと。でも、実は、神さまのなさる細やかさ、小さな者への気の配りようを見逃してしまうなら、本当の意味で神さまの働きを、私たちは見出せないのではないか。そう思わされた。

 神は、星によって、占星術の学者たちを御子のおられる家の前に導きました。この星は、エルサレムの町を上空から大まかに照らしているのではないのです。驚くのは、ピンポイントで、この場所を照らしていること。学者たちは、このことに驚き、喜んだのではないか。神の仕事は、小さき者に光の筋を当てる緻密さがある。神は、小さなことを疎かにしない。

 この光景は彼ら以外には見られていないのです。光は、ただ彼ら旅してきた者だけに降り注がれている。そのとき、自分の実存が照らされていることに気づいた。そうして、彼らが家の中に入ると、ここに、人間になられた神のまなざしがあったのです。母マリアに抱かれ、低いところから、こちらを見つめる目があった。

 だから、彼らは、すぐにでも、ひれ伏して、幼子イエスを拝みました。持ってきた宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を、贈りものとしてささげた。宝と訳された言葉は、マタイ福音書で、しばしば登場する富と同じ言葉です。後に、主イエスは、ある金持ちの青年に、おっしゃいます。

「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。」

 宝はこの富のこと。金持ちの青年は財産を手放せず、悲しみながら立ち去らなければならなかった。この姿は、星占いの学者たちが、喜びにあふれた姿と対照的です。彼らは、小さな幼子に、仕事で得た富をささげることができた。神の御業を知って、小さな者に敬意を払いました。

 幼子イエスを礼拝した学者たちは、別の道を通って帰っていきます。星占いから始まった道と、礼拝からの帰り道の風景が変わった。低いところに降られた神のまなざしをもって、世を見つめていく新しい旅が始まった。

 この後、人間の王の残酷なふるまいが起こります。ヘロデ王は、ベツレヘムとその周辺にいた2歳以下の男の子を1人残らず殺させた。神の導く星がピンポイントで、幼子のいる場所を照らしたのとは全く逆のことが起こった。何の関係もない、小さな子どもたちの命が奪われた。

 まるで周囲一帯を上から見下ろして、すべてを破壊し尽くす空爆のように。でも、御子イエスを亡き者にはできなかった。小さなものに敬意を払うことができなければ、神の大いなる御業を見ることができないのです。

 私たち人間が、些細なものに気がつくまなざしを得たら、大きなヴィジョンを持つことができます。教会生活は、神の大いなるご計画を知る喜びの旅です。皆様の新しい1年が、良い旅路でありますように。

(降誕節第1主日 12月31日 片岡賢蔵牧師)