ペトロの説教

聖書 出エジプト記 19章3〜8節a、16〜20節 | 使徒言行録 2章22〜36節

 本日は聖霊降臨節の第二主日、三位一体主日です。

 礼拝冒頭で読まれた招詞は、こういう言葉でした。

 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、

  ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1章8節)

 まさに、このペンテコステの日は、ペトロが説教した日で、使徒たちは主イエス・キリストから約束された聖霊による力を受け、宣教の業に遣わされていきます。中心はエルサレムですが、その周辺にいた、かつて同胞と呼ばれていた民、異邦人と呼ばれる人たちにも、聖霊よってイエス・キリストが伝えられることが示されました。

 このビジョンはとても重要です。使徒言行録を読み進めると、本当に地の果てまでの道筋が記されているからです。使徒言行録の後半、宣教者パウロはローマに行くことになります。パウロ自身の計画はローマを経てイスパニアに行くことでした。イスパニアというのは現在のスペインで、当時考えられていた地の果てでした。イエス・キリストを宣べ伝える者たちは、全世界に至るまで、キリストを宣べ伝える証人であるということです。

 使徒言行録前半に記されるペトロについては、イエスの一番弟子で、「人間味あふれるペトロ」という風に表現されることがあります。いつも主のそばにいて、主の教えに対してすぐに反応し、自分が見たこと考えたことを、すぐに師である主に述べる。それゆえにペトロの考えを主イエス・キリストが諌める場面があります。特に福音書のペトロは、弱さがあり、泣いている姿も記されます。

 一方で使徒言行録のペトロは、人間にあふれる弱さを持ったペトロというよりは、聖霊が降って変えられたペトロというにふさわしいと思います。福音書と併せて読むとよく分かります。聖霊に満たされる前と満たされた後のことが比較できるのです。このペトロは憐れみの器、恵みの器として真っ先に用いられました。主イエス・キリストに結ばれる人たちを、自身を通して働く聖霊によって招きました。力強く説教しました。ペトロの説教は、使徒言行録にいくつも確認できます。伝道説教とも呼ばれます。

 なお、新約聖書に収められた手紙の中には「ペトロの手紙」一と二があります。パウロほど多くはありません。今年度、婦人会のぶどうの会といずみの会で読むことになった『パウロの言葉100選』という本があります。新横浜教会の河合裕志牧師が書かれたもので、主日礼拝の説教がもとになっています。パウロは教会にたくさんの手紙を書き送りました。パウロの言葉は100、選べると言ったらいいでしょうか。しかし、ペトロの言葉100を選んで本に出しますといったら、どうでしょう。ペトロの言葉100選は難しいかな、と思うのです。

 それでも、私たちが確認したいのは、聖霊に満たされて、あのペトロが力強く主イエス・キリストの福音を伝えた、死んで復活されたメシア、救い主である方を宣べ伝えたということです。「変えられた」ということが重要なのです。変えられて、主イエス・キリストに結ばれる人たちを発見し、主イエスと固く結ばれている自分を見出したということなのです。

 2章の終わり、ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、「その日に三千人ほどが仲間に加わった」とあります(41節)。大変多くの人が、ペトロの言葉を聞いて神の御心を知りました。この人たちも変えられて、洗礼を受けて、主イエス・キリストとの交わりに結ばれました。この人たちも聖霊の賜物を受けて、世に遣わされていきました。ここに教会の交わりが生まれました。

 ペンテコステは、聖霊の力を受けて変えられた者たちが出かけていった日、そのことが起こった日です。ペトロが瞬時にして何かのマスターになり、出会った人たちも悟りを開いて、狭い所に入ることしか許されないという仕方で、教会ができあがったのではありません。私たちは知っています。主イエス・キリストを宣べ伝える業、また伝道とは、聖霊によって約束に入れられたものが変えられ、遣わされていくことであり、神の働きのとどろきに身を震わせて言葉を発する者たちの業であると。

 神の言葉に聞く者たちが起こされ、交わりが広がりました。主イエス・キリストを中心とした交わりが立ち上がっていきます。主イエス・キリストに結ばれた者たちが、まさに組み合わされて成長していくのです。

(聖霊降臨節第2主日礼拝 6月4日 片岡宝子牧師)