起きよ、死者の中から立ち上がれ
聖書 出エジプト記13章17〜22節 | エフェソの信徒への手紙5章11~20節
「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。」
いつの今のことでしょうか。この聖書の言葉が書かれたのは、およそ二千年前です。それでも、今の時代に響いてきます。そもそも人間の歴史で、今は良い時代だと胸を張って言える時代はあったでしょうか。いつでも、今は悪い時代なのです。だから、聖書は言います。
この悪い時代に対して、もっともっと大いなる、善い時があるのだと。キリスト者は、今が悪い時代だからと落ち込んだり、暗くなることはないのです。むしろ、悪い時代だからこそ、あなたがたは光る。聖書は、そう呼びかけます。
「時をよく用いなさい」という、この時とは、元の言葉で「カイロス」という言葉が使われています。カイロスとは、私たちが管理できる時間ではない。神さまがくださる時のことです。そして、「用いる」という言葉には、贖う、代価を払って買い取るという意味の言葉が使われていて、これはイエスさまが十字架の上で贖ってくださったことと同じ意味の言葉です。ですから、ある牧師は、この16節を、こんな風に訳せると言います。
「神の時を贖い出せ、日々は悪に支配されているのだから」
この悪い時代に、私たちは、神の時を取り戻すんです。この世界に、神の時を染み渡らせていく。
神の時とは、具体的にどういうことでしょう。その前の14節で突然、こう言われています。
「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」
この引用は、旧約聖書の言葉ではありません。学者の間で、当時の教会で歌われた讃美歌ではないかと言われています。特に、洗礼式の時に歌われた讃美のようです。
「起きよ。死者の中から立ち上がれ。」主イエスこそ、死んだように生きているこの時代から、私たちを立ち上がらせてくださる救い主です。教会で洗礼式を行う時、頭に水が注がれて、神の霊が教会員一人ひとりに注がれていることを明らかにします。
それは、何よりの「神の時」なのです。神の時が、今、この時代に現れ出て、あなたに注がれています。そのとき、私たちの過去は変えられてしまいます。かつての過ちは、もう許されていることを知ります。過去を変える今が与えられる。どんな時と場所をも貫いて響いてくる声を耳にするのです。
「起きよ。死者の中から立ち上がれ。」
今日の聖書の後半に目を向けますと、18〜19節で「酒に酔いしれてはなりません。」とあって、「むしろ、霊に満たされ、詩編と讃歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。」と言われています。やっぱり、主を賛美することが強調されています。
でも、なぜ、お酒の話が入ってくるのかと思われたかもしれません。実は、私たちが聖霊に満たされて、心から神さまを賛美する様子が、昔の人には、酒に酔っているように見えたのです。あのペンテコステのとき、聖霊が降って、弟子たちが神さまの御言葉を、それぞれに語り始めました。ペテロは、今は朝の9時ですから、お酒に酔っているのではない、と弁明した。それは、このためです。
歌というのは、宴会など酒の席で歌われます。「宴もたけなわ、それでは一曲、歌っていただきましょう。」と普通は歌い始めるわけです。でも、キリスト者はノンアルコールで歌えるんです。酒ではなく、聖霊に満たされて歌います。ですから、今日の聖書の前半から後半にかけて言われているのは、こういうことです。今は、確かに暗く悪い時代です。このことは否定できない。でも、だからこそ、この暗く悪い時代にも、神さまを礼拝しようよ。この手紙は、教会の仲間に、そう呼びかけている。私たちは暗闇の業には加わらない。私たちは歌を歌おう。神さまを褒めたたえよう。神さまを礼拝しよう。世の人たちは、それが何になるのか、それで平和になるのか、揶揄するかもしれない。でも、そこのところで、私たちは、神の時を紡ぎ出す。この世に神の時を染み渡らせていきます。
戦後79年の熱い8月が終わろうとしています。いくつか戦争にまつわる読み物やテレビの報道番組を見ました。その中で、心に明かりが灯るような記事がありました。それは、日本が戦争に突き進んでいった、実に暗く困難な時代に、ここ東中通教会が、どう生き抜いたのかという記事です。
関東教区が、10年前に「罪責を告白する教会」という大きな冊子を作りました。この中に東中通教会の牧師だった原田史郎先生が、戦時中の東中通教会史の断片を書いています(「罪責を告白する教会」(日本基督教団関東教区、2014年発行)、247頁、255頁)。
原田先生は、まず1941年、東中通教会が、みどり幼稚園の設立に動いた時のことを伝えます。みどり幼稚園は「キリスト教主義による保育」を行う園として、幼稚園の園則に、その旨を記そうとしましたが、敵国のものは認めないと、県は設立申請を受付けなかった。ついに喧嘩になってしまった。もう開園を断念するかというところ、苦渋の決断で「本園は皇国の道に則りて」という一文を入れた。これは、教育勅語に示された、天皇のために身も心も尽くす道という意味です。
しかし、その後の一文に「キリスト教主義に基づき」幼児を保育する旨の言葉を入れました。このことを、あきらめなかったんです。教会の方は、どうか。牧師や信徒に、次々と召集令状が来て、兵隊に取られてしまう。日本軍が真珠湾へ奇襲攻撃をかけた1941年12月、日本基督教団の執行部は、戦争に積極的に協力するよう、勧告を行っています。
「1、祈祷のあるところ必ず勝利あり。この際基督者は祖国のために結束して祈祷にはげむべし。」
この他、全部で6項目の勧告に加え、クリスマスの祝会は自粛すること、特別献金は、国防のため、将兵慰問のために捧げること、生徒へのプレゼントは全廃すること、そういうお達しが12月9日付で、各教区に出された。こうして、日本のキリスト教会は、戦争に加担していく困難な時代でした。
この時、東中通教会は、どう動いたか。12月14日に長老会が開かれ、クリスマスについて話し合われた。そして、止めるよう言われていた、クリスマスの祝会を行うことを決めた。この祝会でクリスマスプレゼントに、みかんを出すことを決めた。特別献金は、国防のためにまわすのではなく、関係する牧師、牧師夫人らに差し上げることを決めた。12月21日にクリスマス礼拝、24日、クリスマスイブの夕方6時に、日曜学校と合わせて、クリスマスの祝会を行ったのです。それは、ささやかな抵抗かもしれません。
けれども、クリスマスのお祝いをした。みかんが一つ一つ手渡されて、みかんの皮をむきながら、みんなで、主イエス・キリストのご降誕の喜びを分ちあった。暗い時代にあって、賛美歌を歌いました。
「詩編と讃歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」
来年、東中通教会は、創立150周年を迎えます。150年前も、約80年前、日本が戦争していた時代も、この悪い時代に、キリスト者は、神の時を贖い出そうと、この地に、賛美の歌を響かせて来ました。
そして今、この悪い時代、危機の時代を、私たちが、どう乗り越えようとしているのか、私たちの後から来る、次の世代から注目されています。
(聖霊降臨節第15主日礼拝 8月25日 牧師 片岡賢蔵)
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