大地もまだないころ、わたしはそこにいた
聖書 箴言8章1、22〜31節 | ヨハネの黙示録21 章1〜4節
主が世界を創造されたとき、わたしはそこにいた、と不思議な声が語りかけてきます。この声の主、神さまの知恵のことなのですが、女性として擬人化されています。知恵は人々に呼びかけている。わたしの声をよく聞きなさいと。知恵は人間が簡単に手に入れたりするものではなく、良好な人間関係のように良い関係を結ぶことで、愚かな生き方から離れられる、そう教える人生の指針が聖書の箴言です。
神さまの創造と聞いて、すぐ思い出すのは創世記1章です。
「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。」
創世記1章は紀元前6世紀頃、バビロン捕囚の時代に書かれたとされます。国が滅亡し故郷から引き離されて、混沌とする生活の只中で、自分たちの存在理由は、どこにあるのか嘆きつつ、はじまりに目を向けたのでした。そこで、神さまから教えてもらった。神は1日1日を大切に創造され、7日間かけて、秩序ある世界をお造りになられている。ここに、ユダヤの人々は、堅く据えられた希望を見出しました。
対する箴言8章の創造物語は別の語り方をしています。注目したいのは、27節です。
「わたしはそこにいた/主が天をその位置に備え/深淵の面に輪を描いて境界とされたとき」
主は、輪を描いて天と深淵を切り分けたと言うのです。つまり、天地を丸い円球という形として見せている。創世記1章では、形態については言われていません。この輪という言葉、ヘブライ語聖書では、箴言のほかにヨブ記とイザヤ書40章にしかない珍しい言葉です。
現代の私たちは地球が丸く、見上げた時の天空もドームのようだと考えるのが自然です。でも、古代エジプトやユダヤの人々の宇宙観では、天地が球体であるとは見ていなかった。この形に注目したのは、古代ではギリシアの人々なのです。ということは、箴言8章の書き手であるユダヤ人は、何らかの形で、古代ギリシアの文化と接した人たちだと考えられるわけです。
もしそうであるなら、創世記1章が書かれたバビロン捕囚から、時代は変化しています。捕囚後、今度はペルシアが台頭し、捕囚の民の帰還が許されます。ついに平和な時代が来たと思うと、ペルシアも滅ぼされます。あの有名なアレクサンドロス大王が、世界の東と西をつなぐ大帝国を築き上げます。今まで遠く隔たれていた、オリエントとギリシア文化が混ざり合ったのです。
時は、紀元前3世紀、ヘレニズム文化の始まりでした。世界中から知を集めるアレクサンドリア図書館がエジプトに建てられ、そして、知を愛するギリシア哲学が世界に広まっていきます。時代は激しく移り変わっている。世界の新しい知見が、続々と耳に入ってくる。ヘブライ文化を背負うユダヤの人々は、このギリシア文化とぶつかりました。天地は輪を描いたようである。このとき、再び考えさせられたのではないか。自分たちユダヤ人とは何者なのか。時代が移り変わっても、揺らぐことのない知恵とは何かと。そうして、箴言の冒頭に、あの有名な一文が記されました。
「主を畏れることは、知恵の初め。」
知恵は確かにいいものです。しかし、知恵に近づくためには、欠かせないことがある。人間として、知り得ない神の領域があることをわきまえ、へりくだること。そういう熟慮と慎重さを持って、初めて知恵にアクセスできるのです。この知恵は、主による創造の中心で、声高らかに宣言します。「わたしはそこにいた。」しかも、この声は喜んでいます。主を楽しませる者として、また、主の造られた地上の人々と共に楽しんでいる。このわたしの存在を肯定する喜びの声をあげています。
後に、主イエスが、この地に降りてきてくださって、神の御もとの知恵こそ、わたしのことである、と伝えてくださいました。主イエスは、知恵の教師として、その時代のどんな学者たちより賢く教えを説きました。さらに、驚くべきことに、この知恵は、誰か一部の人たちに限定されたものではないと、ご自分の命を受け渡してくださって、主イエスに従うすべての人に開かれたものとしてくださいました。キリストは思い出させてくださったのです。私たちは、皆、神の似姿として、造られた神の子だって。すると、創造のときに「わたしはそこにいた。」という喜びの声は、今の私たちも口にすることがゆるされているのです。
だから、もう私たちは、自分を愚かな人間だと思わないようにしましょう。私たちは、つい自分の頭の中だけをみて、自分を蔑んでしまう、それはよくない癖です。人生もっとうまくやれたはずだ、失敗だったなんて思わないで欲しい。箴言の言葉は、そんな私たちの目を覚まさせます。神の創造の知恵は、主イエスによって、あなたに、しっかり結びつけられているからです。私たちは、主が円として描かれた堅い守りの境界線の内に立つのです。
(降誕前9主日礼拝 10月27日 牧師 片岡賢蔵)
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