死者の復活は神の御旨
聖書 イザヤ書55章1〜11節 | ヨハネによる福音書 20章1〜18節
イエス・キリストが十字架にて殺されたことは、とても恐ろしい出来事でした。何の罪も見出せないのに、神の御子を人間たちが殺してしまったのです。主イエスは墓に葬られた。そうして、この世から忘れ去られようとしていました。
3日の後、まだ暗闇が地を包み込んでいる中、女性たちが墓を訪ねた。すると、もっと恐ろしい出来事が待っていました。墓の中は空でした。主イエスの遺体が見つからない。それは、十字架の出来事より恐ろしいことです。人間の業ではなく、ここに神の業が働いているからです。主イエスの働きは、まだ終わりではなかった。
ヨハネ福音書は、動揺する弟子たちの姿を、こう伝えます。8節、「もう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」続く、9節、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」ここで違和感を覚えるかもしれません。見て、信じた。聖書の言葉を理解していなかったから。順序が逆なのではないかと。でも、私たちも同じ体験をしてきたのではないか。私たち、聖書の言葉を理解して、キリスト者になったと言えるでしょうか。まず信じてみよう。ここから信仰者としての歩みが始まったのではないか。そして段々と、初めの頃は理解できていなかった聖書の言葉が、この身に染み渡るようにして、ああ、確かに、復活の出来事は、この私に関係していることだと気づくのです。理解することが先ではない。まず信じた。それが復活の出来事です。
この復活の主に最初に出会った証言者が、マグダラのマリアです。私たちは、マリアを通して、恐ろしかった死者の復活が、とても希望に満ちた朝に変えられていくのを体験します。
マグダラのマリアは、主イエスに、7つの悪霊を追い出していただいた人だと伝えられています。主イエスに出会うまで、彼女は、どれほどの苦しみを味わったのでしょう。永遠に続くと思われた絶望の淵で、本当の罪の赦しがあることを知ったのです。愛する先生に従おうと、主イエスと共にガリラヤから出てきました。ところが、十字架の上で息を引き取られる姿を見届けなければならなかった。マリアは再び、死にとりつかれたように、墓から離れられなくなってしまいます。悲しみのあまり、涙が止まらないのです。
そんなマリアに、復活の主イエスが姿を現してくださいました。興味深いのは、マリアの動きです。ヨハネ福音書は、マリアが、2度振り向いたことを伝えます。1度目、墓の方を向いていたマリアが後ろを振り返ると、主イエスの立っているのが見えました。でも、マリアはイエス様の方を見ているのですが、イエスだとわからなかった。そこで、主イエスは呼びかけます。「マリア」すると、マリアは、再び振り返るんです。そして、「ラボニ」と答える。ということは、どういうことでしょうか。向き合っていたのに、主イエスに背を向けたのではないか。愛する先生の声だと知った瞬間、思わず、まともに顔を見ることもできず、体が動いた。ひざまずいたのかもしれません。でも、しっかりと、主イエスの体を握りしめていた。
だから、イエス様は言います。
「わたしにすがりつくのはよしなさい。」
ここで初めて、マリアは、死を悲しみ、離れられないでいた墓から解放されたのです。
2度、振り向くことに注目して、この場面の説教をする牧師も少なくないのですが、主イエスに背を向けたのではないかとする解釈は、あまりないようです。実は、3度振り返ったのだと言う牧師もいます。背を向けてしまったというのは、踏み込んだ解釈かもしれません。大切なのは、復活の主と出会ったマリアが、この後、弟子たちのところへ行って、はっきりと「私は主を見ました」と告げたことです。このことは、復活の主を、私たちが見るとは、どういうことなのかについて考えさせられます。
今日、共に読まれたイザヤ書はこう告げます。「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。……主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる。」つまり、私たちが主に出会うことができるというのは、主が近くに生きておられる方だからと聖書は伝えます。主は生きておられ、私たちの後ろに立っていてくださる。マリアは、死んだままのキリストを見つけることができませんでした。マリアの後ろに主イエスは立ってくださっていたからです。だから、マリアは、安心して出かけていきます。「私は主を見ました」と。
私たちは、ついやってしまいがちです。神さまを発見したいと。主よ、出てきてくださいと。でも、そうではない。生ける神が働かれています。神が私たちを見出し、あなたに呼びかけます。私たちは、この主を見て、信じる。そして知ることになります。死者の復活は、神の御旨であると。
(復活節第1主日 3月31日 牧師 片岡賢蔵)
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