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聖書 イザヤ書 9章1、5〜6節 ルカによる福音書 2章1〜20節
  

統計学の世界に、ある種の「残酷なお約束」があります。統計全体の1%に満たない回答やグループは、しばしば、ひとまとめに「その他」に入れられるか「誤差」の範囲として切り捨てられます。
 日本のクリスチャン人口は、約0.8%。1%もいません。統計学からすれば、イエス・キリストを信じるクリスチャンは、この国に存在しない誤差として扱われます。キリスト教会も、ないことにしていい存在というわけです。

今夜、皆様は世間から「ないことにされている場所」に足を踏み入れました。世間がいらないよと切り捨てた場所で、古い讃美歌を歌い、静かに聖書の言葉に耳を傾けています。でも、安心してください。最初のクリスマスも、そんな感じだったのです。居場所がここにない、ということこそ、神がこの世界に現れる時の一貫したスタイルです。

「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった。」

これは単に、ホテルが予約でいっぱいだったという観光シーズンの悲劇ではありません。私たちが、神を自分たちの人生から締め出して生きているということです。人間が繰り返し犯す罪の現実です。神を追い出すことができるなら、同じ人間の居場所を奪うことは、たやすいことでしょう。そうして、今なお居場所を失った人々が、この世界に溢れています。

神の御子は、社会の中心、誰からも認められる居場所には現れませんでした。彼は家畜の匂いが漂うところ、社会の隅っこ、あるのにないことにされた場所で産声を上げました。

ルカ福音書は、御子の眠る場所を「飼い葉桶」と3度も繰り返します。なぜ飼い葉桶なのでしょう。

飼い葉桶の反対の場所を思い起こしてください。それは王様の座る「王座」です。ルカ福音書はクリスマスの物語を当時の世界的な権力者、皇帝アウグストゥスが勅令を出すところから始めました。王座には時代の権力者が座っていて、本来、王の中の王である神の子が退けられています。

でも、イエス様が王宮で生まれていたとしたら、私たちは主イエスに会いに行くことができなかったでしょう。身分や服装、王様に捧げるものを気にしなければならないし、手ぶらで出かけようものなら、門番に追い払われてしまいます。

飼い葉桶は違います。そこに門番は立っていません。入場料もドレスコードもありません。最初のクリスマスに集った面々をご覧ください。お金も名誉もない、社会の底辺にいる羊飼いたち。遠い外国から来た、よそ者の博士たち。たまたま居合わせた動物たちです。飼い葉桶の前に集うのに、お金も資格も要りません。誰もが入ることができます。神は、ただ恵みによって、救いを与えようとされましたから。

あなたの居場所は、ここにありませんと拒否されるこの世の中に、神は、それでもと居場所をつくりだしました。飼い葉桶という貧しく暗い居場所に光を贈ったのです。だから、ここには、自分の居場所が見つからないと嘆く、すべての人が座り込むことができます。かつて神の言葉を伝える預言者イザヤは、救い主の誕生を、こう宣言していました。


 「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」

神は、世の中にいないことにされた人々や、あるのにないとされた場所に光を灯すお方です。この世に見捨てられた人が一人もいないようにお救いになるために。

だから、天使は、あなたがたと呼びかけます。どうか、あなたも、この居場所を通り過ぎないでほしい。あるのにないことにしていないでほしい。見えているのに見えないことにしないでほしい。飼い葉桶に眠る乳飲み子が、クリスマスのしるしです。

私たちは、目の前に神の御子が眠っておられるのを見て、まだなお、ここに平和がないと嘆くでしょうか。目の前に布に包まれた乳飲み子を見て、まだなお、互いに争い傷つけ合おうとするでしょうか。目の前にマリアとヨセフ、飼い葉桶に眠る御子イエスを見て、まだなお、自分は罪深い人間のままであるというでしょうか。そうではないでしょう。飼い葉桶に眠る神の御子を見つけたなら、私たちは喜びにあふれて礼拝しないではいられません。神の御子は、すぐ近くおられます。神は、あなたの味わう居場所のなさにまで、いいえ、それより低く暗い底にまで自ら降りてこられました。ここに私はいる。ここに居場所をつくるよと。ここでクリスマスの奇跡を起こそう。 ここに平和の居場所があります。ここで、あなたは聖くされます。クリスマス、この地に今までになかった新しい居場所が芽生えました。この居場所が、あなたへのグッドニュースです。

 

(聖夜賛美礼拝 12月24日 牧師 片岡賢蔵)

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